ビリーが選手に求める事

ビリーが選手を選ぶ際に重要視したことは、投手だけでなく野手に対しても同じように革新的で、従来の野球界の戦術からは考えられないものでした。その「データ至上主義」とも言える戦法には多くの批判や疑問が寄せられました。しかし、この戦法でビリーはアスレチックスを20連勝という快挙に導いたのです。そしてその後もアスレチックスは毎年プレーオフに進出しており、ビリーは自身の理論でアスレチックスを強豪チームへと成長させたのでした。

ビリーの戦術

ビリーは野球を「27個のアウトを取られるまでは終わらない競技」と定義し、それに基づいて勝率をあげるための要素を分析しました。過去の野球に関する膨大なデータの回帰分析から「得点期待値」というものを設定して、これをあげるための要素を持つ選手を「いい選手」としました。具体的に言うと、出塁して長打で得点することが最も効率的となります。チーム編成、及び選手獲得の基準は以下の通りです。状況(運)によって変動する数値は判断基準から排除され、本人の能力のみが反映される数値だけに絞り込んで評価することが最大の特徴です。

野手に求められること

出塁率

打率ではなく、四死球も含めた出塁する率です。ビリーの定義に基づけば、「アウトにならない確立=打者の党首に対する勝率」となるのです。打率は高井に越したことはないのですが、高打率の選手は年俸が高くコストがかかるため、打率が多少悪くても出塁率の高さを優先して選手を獲得しました。

長打率

塁打数を打数で割った値が長打率です。ヒット、特に長打を打った数が多い打者ほど数字が大きくなります。この長打率と出塁率を合算した「OSP」をビリーはチーム編成で最重要視しました。通常OSPは出塁率と長打率の比率は1:1となりますが、ビリーは出塁率と長打率の比率を3:1にした指標(NOI)も使用し、出塁率により重きを置いています。

選球眼

ボールを見極め、四球を選んで出塁率を上げるために必要な要素です。投手の投球数を増やす能力で、言い換えれば「粘る力」です。打者が粘り、投手により多く投球させることで投手の疲弊を招き、四球を得る確率の向上に繋がるのです。平均して中継ぎ投手は先発投手よりも能力が劣るため、相手投手を疲弊させて投手を交代させることで、更に出塁率をあげることが出来ます。映画にも出てきたジェイソン・ジアンビの弟、ジェレミー・ジアンビは、総合的な打者としての能力は兄とは比較にならない程低かったのですが、粘る力においては兄を上回っていたためレギュラーとして起用されました。長打率に比べ、加齢によって低下することが少ない能力です。一般的には努力により向上させられると考えられていますが、ビリーは「選球眼は天賦の才で決まる」また、「野球の成功(勝利)に最も直結する能力である」と結論づけています。

慎重性

選球眼に合わせて重要視され、待球打法を良しとするものです。ボール・ストライクに関わらず、自分の苦手な球に手を出さないことが慎重性です。ビリーの理論では必ずヒット出来る保証がない限り、ヒットになる可能性の低い球に手を出す打者は好まれません。また、初球に手を出すことも否定しています。選手の気質に依存する部分が大きく、ドミニカ出身の選手は積極的に初級を打ちに行くとしました。コーチングにより改善できる部分はごくわずかです。

野手に求められない事

バント・犠打

ワンアウトを自ら敵チームに進呈する、得点確率を下げる行為だと定義し、完全否定しています。犠打で進塁させることで上がる得点の期待値は、そのまま強攻させるより小さいのです。具体例としては送りバントが挙げられます。無死ランナー一塁の場合、送りバントで奏者を進塁させることが、保守的な野球観を持つ者にとってはセオリーであると考えられて考えられていますが、得点期待値を下げるだけの行為だとビリーらは捉えています。しかしビリーの考えが球界全体に浸透してきた近年では逆に多用されるようになりました。

盗塁

あまり意味のない行為と定義されています。全ての盗塁のうち、成功するのは70パーセント前後です。盗塁を試みてあうとにリスクを冒してもホームベースを踏んだ場合に得られる得点は1点であることに変わりはありません。統計学的見地から見ても、アウトになるリスクを冒すより、塁上に留まって長打を待つ方が得点確率が高いのです。また、盗塁を狙う選手はごく一部であり、普遍性がありません。同様にヒットエンドランも高いリスクに対し、得点確率向上への影響が乏しく、ビーンの理論では非効率ですが、近年は犠打と同じく一部の選手には多用されるようになりました。

打点・得点圏打率

打者がヒットを打った際の走者の有無は、その打者自身の能力が導いたことではなく、単なる偶然です。また得点圏打率など「好機に強い」ことも重要ではないと定義しています。その打者が打った時に偶然走者がいたために「勝負に強い」というイメージが刷り込まれただけに過ぎないと考えられています。

失策・守備率

失策であるか否かは記録員が判断するため、主観的であると定義しています。守備範囲が広く積極果敢に打球を取りに行く選手の方が、守備範囲が狭く打球を追うことに消極的な野手よりもかえって失策が多くなります。数字として存在しても選手の能力を示す数値としては機能していません。守備力は回帰分析するためのデータが蓄積しにくいことや、試合に及ぼす影響が攻撃力よりすくないのです。ビリーは、フィールドに数百の座標を設定し、打球の速度・軌跡を調べ、「速度○○、軌道△△を伴い地点××に落下した打球」という風にだきゅうをより厳密に判別する手法を導入しました。それによって打球を処理した野手の守備力の数値化を図ったのですが、野手の捕球するまでの行動が反映されないなど問題もあるため重要視されませんでした。○

まとめ

野球が「27個のアウトを取られるまで終わらない競技」という考え方は面白いなと思いました。私も野球を観ていて送りバントなどをされると、「もったいないな」と思うことも多々あります。また、なんでもいいから塁にでろという考えも納得できます。塁に出なければ得点には繋がりませんし、塁上に選手がいることで投手にプレッシャーをかけることができると思うのです。プレッシャーという意味で言えば、私は盗塁推進派です。応援しているチームの選手が盗塁したときの外野席の盛り上がりは凄いです。私は野球をプレーしたことはありませんが、走者が一塁から二塁に移っただけでも投手にとってはかなりの緊張感があると思います。ビリーの「マネー・ボール」には、そういった緊張感とかプレッシャーとか場の空気のようなものが一切考慮されておらず、その点が「野球は人間がプレーするもの」という考えの人達から批判を受ける所以なのではないかなと思います。得点圏打率を軽視しているのもそうです。私は得点圏打率というのは「勝負強さ」だと考えていて、それはやはり気持ちの問題なのですが、プロ野球選手とて人間ですから、気持ちにプレーが左右されることは多々あると思うのです。その辺を考慮しない「データ主義」の野球は、やはり熱さを感じません。ですが、だからといって勝利への執念がないのかと言ったらそうではなく、むしろ勝利を渇望するからこその徹底したデータ主義なのです。少ない資金の中でいかにいい選手をとり、そしてチームを強くしていくかと考えたとき、この選手が好きだから、この人は勝負強いからという理由で選手を選んでいては駄目で、今までの考えを全て捨て、一見すると極端すぎるくらいのことをしないと勝てないという事情があったのがアスレチックスなわけです。その辺の事情を知っているので、このマネーボール理論はあまり好きにはなれませんが、すごく画期的な方法であることは認めざるを得ないと思います。

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